しゅう兄さんの臨床心理士的生活-「受容・共感」に否定的なのは-

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2005.12.07(水)

「受容・共感」に否定的なのは

「受容・共感」って何とか、「くだらん」論争とか、
いくつかのブログで議論になってますが、
おバカな私は頭がごちゃごちゃになってきています(^_^;

で、いただいたコメントやら、takashiさんとこのエントリーを見たりして、
とりあえず、「受容・共感」についてもう一度ゆっくり考えてみると、
別に議論するようなことではなくて、
言葉の使い方や捉える側面の問題なのかなという部分もあったので、
そのへんもう一度整理してみたのですけど、
takashiさんとこの[心理学小話]「受容」って何だ? その6─ちと整理&コメントで、
「受容・共感は心理療法がなりうるための前提」「それがないと心理療法は成立し得ない」とは私は思えないのですよ。
実際的な話で言えば、それも極端ですが、クライエントにとっては、カウンセラーに会いたいと思ったり、予約をとったり、あるいは面接室に入った時点で心理療法は始まっていると私は思っています。
とありますが、私の頭の中では
「心理療法が成立する」≠「心理療法が始まる」
となっていたんですよね。
これはほんとに細かな言葉の問題だけです。
だから、「受容・共感」とか言う前に心理療法は“始まる”ということに異論はありません。

で、続けてtakashiさんは
おそらく、ほとんどのカウンセラーは、受容・共感をやっていない/できていない、そして「心理療法をやっていない/できていないということになるのではないか、と思ってしまうのですね。私なんか、たぶん、今まで1回たりともまともにできていない、やっていない。
とおっしゃっていますが、
なぜそう言い切れるのでしょう?
これは私にはちょっとよくわかりません。

おそらく、こういうふうに言い切ってしまわれるのは
私としては、受容・共感しないと心理療法は成立しない、(そして)クライエントはよくならない、という発想が嫌いなんだと思います。
つまり、
「受容・共感なんて糞食らえさ!俺の心理療法は技がすべてさ!」
(かなり意訳してます。すんませんm(_ _)m)
ってことを主張されたいからなのかなと思いましたが、

そういうことで言えば、
私も「受容・共感」だけでクライエントがよくなるなんてまったく思っていません。
このへんがロジャースの引用ばっかでエントリーを書いた私が、
“アンチ・ロジャース”だと言う部分なのですけど、
(あ、危ない危ない。また軽率な書き方してた・・・。ロジャースも別に「受容・共感」だけでよくなるとは言ってないんでしょうけど、その部分にかなり重きを置いているというのは事実なので、こういう書き方をしました・・・。)

ただ、「受容・共感」がないと(そういえば、takashiさんはこれを「しない」と言いますが、私は「ない」と言うのは一貫して変わりませんね)、
技法うんぬんどころじゃないと思うんですよね。
わかってくれなさそうなセラピストがいくら技法を駆使しようとしても、
クライエントには入らないと思うんですよ。

だから、takashiさんがそのテクでもって、
「問題・問題状況がよくなるクライエント」がいるのであれば、
少なくともその限りにおいては、ご自身の思いをよそに、
「受容・共感」的だったのではと想像するのですがいかがでしょう?

で、このコメントは私も実にうまいなあと思ったのですが、
takashi さんがいう「共感」を「同情的言動」って言い換えると、何となくそうかなと思います。
という裕さんのコメントにあるところの「共感」という意味では、
takashiさんはきっと一度も「共感」したことがないのでしょうし、
私もこの意味の「共感」を重要視していません。

というところで、すれ違いは随分なくなったように思うのですが・・・。

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│posted at 23:52:30│ コメント 6件
≫コメント 
>しゅうさん

突然のTBすみません。別にしゅうさんの書かれた内容が癇に障るようなものだったというわけではないのですよ。てか、本当に癇に障るような内容だったら、私は「癇に障ります」と直接言います。

TB送ったのは単に「関連しそうな内容だなぁ」というだけの理由でした。

「受容・共感」についての考え方は、私はしゅうさんに非常に近いものを感じております。

…ということをTB元のエントリのコメント欄にも書きましたよ。
ロテ職人│URL│posted at 2005-12-08(Thu)│編集
>ロテ職人さん

コメントありがとうございます。

被害的な反応をしてしまい、すみませんです(×_×;)

>本当に癇に障るような内容だったら、私は「癇に障ります」と直接言います。

いつか言われるんだろうなあと、ドキドキしながら待ってますね(嘘)。
それにしても、このネタは「こうだ」と簡単に言えるほど生易しいものではないですね。ほんと難しい・・・。


しゅう│URL│posted at 2005-12-08(Thu)│編集
つーかこの話題、その人の臨床実践のオリエンテーションが見事に反映されるように思います。

某職人様のことはおいとくとしても、私自身色々と考えさせられました。
ロテ職人│URL│posted at 2005-12-08(Thu)│編集
 熱い議論ですね。参考になります。
 もし100%受容・共感オンリーのロジャリアン(もどき)がいたら、相当きもいというか変な人だと思うのですが、この種の議論は何となくそんな人を想定した人格論っぽくなりがちな感じがして苦手なところです。
 もう少し技術論の辺りで考えてみると、J・ヘイリーだったか、精神分析の抵抗解釈やロジャースの受容はコミュニケーションにおいて「絶対不敗」の構造を持っている、相手が何を言ってきても、常に治療者がそのコミュニケーションを定義できる、制御できる位置にいられる、といったことを聞いてなるほどなあと思ったことがあります。
 武道でいう「合気」の技と同じですね。相手がどんな攻撃をしかけてきても、ふわりと受けて返す、でも相手は傷つけずに生かすことを目指す。共存共栄が武道の理想でしょ。
 そして優れた技は、人格と絶対的に独立ではなく、意識の深いところに影響を与えます。かの植芝盛平や塩田剛三のように。そしてロジャースも・・・。
 なんて、マニアックなコメントでごめんなさいね。
アド仙人│URL│posted at 2005-12-09(Fri)│編集
>アド仙人さん

マニアックなコメントありがとうございます(笑)

>優れた技は、人格と絶対的に独立ではなく、>意識の深いところに影響を与えます。かの植>芝盛平や塩田剛三のように。

そうですね。私はこれを語れるほどの境地にはまだ立っていませんが、
「優れた技」と「人格」は相互に影響し合っているように思います。
一般の人にわかりやすく言うと、
「心・技・体」ってやつですかね?
どれが欠けても不十分だと思いますが、
このネタも「受容・共感」ネタと同じで、

「技」がすべてとか「体」がすべてだろ?
ようは試合に勝ちゃいいんだろ?
「心」が優れているなんてどうやって証明できるんだ!

って議論になりそう・・・。
あっ、でも格闘技と武道の違いとか、
強いって何とかこっちのほうがネタおもしろそう(笑)
アド仙人さん書いてください。
しゅう│URL│posted at 2005-12-09(Fri)│編集
>ロテ職人さん
>この話題、その人の臨床実践のオリエンテーションが見事に反映されるように思います。

そうなんですよねえ。
ここのへんのところが、臨床実践の根幹に関わってくる部分なのでしょうね。
ここには書けないですが、何年か前にSVでいろいろ指摘されたことなんかを思い出してました。
しゅう│URL│posted at 2005-12-09(Fri)│編集
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