しゅう兄さんの臨床心理士的生活-受容・共感・自己一致-

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2005.12.06(火)

受容・共感・自己一致

そもそもの話題の発端は統計職人の臨床心理的ブログのエントリ面接室って成績順?のコメントで、統計職人さんが臨床心理士試験の面接に関連して、

まさにまな板の上のコイ。しかしよく考えてみれば私は某教員です。今まで生徒に対して似たようなことをやっていたのではないでしょうか、またクライエントの悩みに対して「くだらん」と思うことがあったけど、当事者から見れば真剣な悩みだったのではないでしょうか、こういった気持ちと向き合う大切さに気づきました。


と発言され、この中の

またクライエントの悩みに対して「くだらん」と思うことがあったけど、当事者から見れば真剣な悩みだったのではないでしょうか


という部分に多くの人が反応され、当該エントリのコメントで他の方がそれに対して苦言を呈されたり、ロテ職人の臨床心理学的Blogで、ロテ職人さんが、クライエントの悩みに対して「くだらん」と思う人というエントリをアップされて、

百歩譲って心の奥底でそういったことを思っていたとしても、ブログにそうやって書いてしまうということの意味を、今一度考えて欲しいものだと思います。


と諭されたり(ロテ職人さんは別にそんなつもりではないかもしれませんが)、また、takashiさんのさいころじすと日記のエントリ[心理学小話]「受容」って何だ!? その4などというエントリをアップされたりしていたのですが、それらに触発されて私も少し考えてみました。

そもそも受容・共感・自己一致(純粋性)って何なんでしょ?


私は、ネタのはじまりとなった「くだらん」発言について、別にとやかく言いたい(責めたい)わけではないし、統計職人さんがこの件にはもう触れられず(12/6 22:00現在)

相変わらず場を読めない私は、盛り上がる議論を背景にキットカットの正しい使い方を今日職場で聞いたのですが


などと、半ば周りの反応を無視されてるようですので、そんなことはもう置いておいて、以下の点について考えたいと思います。

1.「受容・共感」なくして心理療法は成り立ちうるのか?
2.「受容・共感」は出したり引っ込めたりする性質のものか?

もうひとつ一連のエントリやコメントでよく出てきた、「枠」「構造」についても考えたかったのですが、話が大きくなりすぎるので、それは別の機会に・・・。

で、学派の違いはあるのかもしれませんが、もともと「受容」とか「共感」というのは、ロジャーズが「無条件の肯定的関心」とか、「感情移入的に理解する」とか言ってたものだったと思うのですが(私はロジャリアンじゃないので、違ったら訂正してくださいね。)、これらは、ロジャースによれば「治療過程が生じる条件」、つまり心理療法が心理療法たる条件ということだったかと思います。

なので、これらは技法ではなく行っている面接が、心理療法となりうるための前提にすぎないということですよね?

他の学派ではこれを特に言ってなかったと思いますが、さりとてこれを否定しているわけでもないので、すべての心理臨床家にとっての基本だと思うのです。


ですので、前述のtakashiさんのエントリの中で

しかし、受容・共感という姿勢やテクニックの使用をすることで起こる問題や「負の効果」というのも少なからずある。業界人は、もう少しそのへんについて敏感であってもいいのかとも思う。といっても、きちんと研究なり実践を積んでいる人にとっては、当たり前の話だと思うし、特に臨床心理士ならば「知っていること」と思うのだけど----。


とおっしゃられていますが、「受容・共感」は「使用する」ものではなく、「それがないと心理療法は成立し得ない」くらいの基本的なものと考えています。

で、takashiさんが「負の効果」とおっしゃってるのは、

不安傾向の強いクライエントの場合、受容・共感しすぎてしまうと、かえって彼の不安を高めてしまう危険性がある。


ことや、

また、受容・共感をしすぎることで、クライエントとその周りにいる人との関係性への注意なり配慮が欠けてしまうこともよく起こる。特に、スクールカウンセリングなんかでの、家族や教師への不満なりトラブルなりのケースでは、無条件にクライエントの話を受容・共感しすぎてしまうと、「カウンセラーの先生だけが私のことをわかってくれる。でも、それ以外の大人はわかってくれない。ほんとサイテー」てな具合で、クライエント-家族・教師との関係をますます悪化させ、最悪は修復不可能な状態にもしかねない。「相談室では適応的、その外に出ると不適応」な生徒をカウンセラーが作り出してしまうのだ。


ことだそうですけど(takashiさんすみません。引用しすぎですね・・・。)、
それは「受容・共感」なのですか?


受容はそもそもクライエントの話す内容ではなく、クライエントそのものに対しての話だし、共感も、クライエントの内的な照合枠を感情移入的に理解しようとすること、つまりクライエントがどんな心理的世界を体験しているかを理解することであって、内容そのものに対して肯定することとは、ちと違うように思うのです(このへんのことはロテ職人さんのとこのエントリ泣く医者・泣くカウンセラーにもいろいろ議論があります。)。

で、どうしてもこう思えない、例えば「くだらん」と思うのは、「自己一致」してないということだから、それについてなぜ自己一致しないのかの気づきが必要だよんって話ですよね?そのへんは逆転移の分析という言い方でもいいのかな?
↑↑
(※このパラグラフは正確性に欠いた内容ですね。コメント欄をご参照ください。)

とまあ、オチも何にもありませんが、“ロジャリアン糞食らえ!”って思ってたこともある私が、ロジャリアン(もどき)らしい話をするんだから、ロジャースって人は偉大なんだなあとつくづく思いました。

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│posted at 23:35:25│ コメント 78件
≫コメント 
> 例えば「くだらん」と思うのは、
> 「自己一致」してないということだから、

ん?
この一点だけが疑問。
「くだらん」と感じる自分こそが、「自己一致」している自分、
ということは、ありうるのではないでしょうか。
(そういう人が、セラピストに向いているかは別にして・・・。)

セラピストが自分の内に生じるネガティブな気持ちに対しても正直になることが、
精神分析でいうところの「逆転移」の活用とも重なり合う、
というのは、同意です。
(諸冨氏あたりも、そのように概念化していますよね。)
臨床心理士デスマ│URL│posted at 2005-12-07(Wed)│編集
>臨床心理士デスマさん

>「くだらん」と感じる自分こそが、「自己一致」している自分、
>ということは、ありうるのではないでしょうか。

はい。ですね。おっしゃるとおりです。
あれ?あとで読むとおかしいですね。(・_・ゞ-☆

えと、何言いたかったんだろ??「くだらん」と思いつつ、でもそれはおいといて、カウンセリングをやるってのは自己一致の原則に反するって言いたかった・・・のかな?なので、否定的な感情が生じたら、出来る限り誠実に、その否定的な感情をクライエントに伝えるんですよね?ん?違います?違ったら教えてください。>ロジャリアン

逆転移の分析(意識化)とはまた違う話ですよね。てか、そこがロジャース派と精神分析の違いの一つでもありますよね。ロジャース派は自己一致できるように自己の感受性を高めることを重視するんですかね?

あ、これは元の発言者の彼とは全然関係ない話ですよ。

あー、もうやめとこ。ボロがどんどん出そう・・・。
これだから、中途半端にロジャースなんぞ語るもんじゃないですね(^_^;
しゅう│URL│posted at 2005-12-07(Wed)│編集
引用は、いくらでもかまいませんよ。その方が、正確に読者に伝わるでしょうし。

頭がついていけずにいっぱいいっぱいになっていますが、とても示唆に富む&勉強になる議論なので----またエントリーしますね。
takashi│URL│posted at 2005-12-07(Wed)│編集
はじめまして。
takashiさんの記事に関心を持っていたので、ひとこと書かせていただきます。
> 否定的な感情が生じたら、出来る限り誠実に、その否定的な感情をクライエントに伝える
クライアントに伝えるのは、それが有用と判断される場合だけです。
【参考】デイブ・ミァーンズ&ブライアン・ソーン著 伊藤義美訳『パーソンセンタード・カウンセリング』ナカニシヤ出版 2000, p.106
_カウンセラーは、’自分が一致している’ということに基づくからといって、その瞬間に感じていることを何でも単に表現することができるわけではない_
 詳細は、上記文献にあたってください<_._>。
付記:上記書籍では、ミァーンズとなっていますが、『パーソンセンタード・カウンセリングの実際』では、メァーンズです。英表記は、Dave Mearns。
nana│URL│posted at 2005-12-07(Wed)│編集
>nanaさん

はじめまして。コメント&ご教示ありがとうございます。

>クライアントに伝えるのは、それが有用と判断される場合だけです。

なるほど。まあ、そうですよね。

>その瞬間に感じていることを何でも単に表現することができるわけではない

「何でも」「単に」、つまりよく考えて、工夫してってことですかね?常識的に考えてもそれが妥当ですよね。
私のような少し本読んだだけの人間では、「自己概念(構造?)と経験の一致」→自己一致と言われても、じゃあ、実際どうしたらいいんだ!ってなりますが、ロジャースのパーソナリティ論の中でも特に重要な概念でしょうから、そう簡単にはわからんし、体現されにくいことなんでしょうね。
どちらかというと、精神分析的オリエンテーションを持つ私にはなおいっそうわかりにくい・・・。

上記文献、参考にさせていただきます。
今後とも宜しくお願いします。_
しゅう│URL│posted at 2005-12-07(Wed)│編集
トラックバックがうまくいってないので
長いので
統計職人のブログを見たください
統計職人│URL│posted at 2005-12-07(Wed)│編集
しゅうさん、コメントありがとうございます。
いずれ何らかの形で、受容・共感・自己一致についての記事をブログにアップしたいと思っています。
こちらこそ、よろしくお願いいたします。
nana│URL│posted at 2005-12-07(Wed)│編集
コメントで始めて書かせていただきます。あかたろです。しゅうさん、お久しぶりですm(_ _)m

nanaさんの紹介されている、
>『パーソンセンタード・カウンセリングの実際』では、メァーンズです。英表記は、Dave Mearns。

 この本、私も読みましたよー。これを読んで、世間はかなりロージャース派を誤解していると思いました。第1章のタイトルは「無条件の肯定的配慮は、『相手を好きになること』とは違います」で、基本的ですけど、とても重要な事柄について触れられてます。最後には精神科での使用法も書かれてました!いい本でしたよ◎
あかたろ│URL│posted at 2005-12-08(Thu)│編集
>nanaさん

記事楽しみにしていますね。
ご専門の方の見解も聞いて勉強していきたいです。
フォーカシングも昔は(今もないことはない)興味があったので・・・。
しゅう│URL│posted at 2005-12-08(Thu)│編集
>あかたろさん

お待ちしておりましたよ。あかたろさん。
あかたろさんのど真ん中のテーマですもんね。

>「無条件の肯定的配慮は、『相手を好きになること』とは違います」
さすがにド素人の私でも、これくらいは分かっているつもりです。
でも、ロジャース全集ちょこっと読んだことあるけど、言い回しが難解で抽象的なので、当時院生だった私にはちっとも入ってきませんでした。その本、ほんと一度読んでみます。

p.s.お師匠さまにはご内密にね♪
しゅう│URL│posted at 2005-12-08(Thu)│編集
>しゅうさん
>あかたろさんのど真ん中のテーマですもんね

ものすごく恐縮するのでやめてくださいよ~。ああ、お恥ずかしい…(硬直。)

>p.s.お師匠さまにはご内密にね♪

あー、そうですよ。そうなんです。これが一番危険ですよね。やばいですねー。内密にがんばります!けどもう、集いの2人の先生にはばれちゃいましたよー。。(泣)
あかたろ│URL│posted at 2005-12-09(Fri)│編集
>あかたろさん
うちの師匠も古いお人なので、
こういう文化?には否定的と思われますが、

あかたろさんのとこも、たいがい嫌いそうですしよね。
しかし、このネタでお師匠さんからコメントもらえたらおもしろいんだけどなあ。まあ、無理だけど。
しゅう│URL│posted at 2005-12-09(Fri)│編集
「自己概念」と「経験」を一致させるというより、「自己概念」を「経験」に近づける、
ということ???
ひろこ???│URL│posted at 2006-06-05(Mon)│編集
>ひろこ???さん

>「自己概念」と「経験」を一致させるというより、「自己概念」を「経験」に近づける、

まあ、そうですよね。経験自体は変化させていけるものではないですからね。

「自己概念」を「経験」に近づけていった結果、一致すればよいということですかね?
しゅう│URL│posted at 2006-06-07(Wed)│編集
「経験」実際に体験したこと、実感したこと
「自分の気持ち」
それらを、「自己概念」に取り込むということでしょうか?
単に自分で信じ込んでいる自分の姿は、あまりあてにならないということでしょうか?
登茂実(ともみ)│URL│posted at 2006-07-22(Sat)│編集
>登茂美(ともみ)さん

えと、

>「経験」実際に体験したこと、実感したこと「自分の気持ち」それらを、「自己概念」に取り込むということでしょうか?

多分そんな感じだと思います。こころもとないので、引用をひとつ。

「セラピストは、たとえ初めは歓迎すべきでないと感じられ、よそよそしく感じられていた感情や思考でも、自己概念の中で正確に象徴化し、また自己概念に含めることで、自分の純粋さを保持できるかが問われます。(ブライアン・ソーン著「カール・ロジャース」より)」

もうひとつ、

>単に自分で信じ込んでいる自分の姿は、あまりあてにならないということでしょうか?

っていう部分に関しては、ごめんなさい、よくわかりません・・・。
しゅう│URL│posted at 2006-07-24(Mon)│編集
ご多用のところ、ご返事ありがとうございました。
単に自分で信じ込んでいる自分の姿は、あまりあてにならないということでしょうか?
という部分は表現が妥当でなかったように思いました。
自分で信じ込んでいる自分の姿に、あまりこだわらないということでしょうか?
という質問のことばにかえさせていただきます。
よろしくお願いいたします。
ともみ│URL│posted at 2006-07-25(Tue)│編集
>ともみさん

>自分で信じ込んでいる自分の姿に、あまりこだわらないということでしょうか?

「あまりこだわらない」っていうのとはちょっと違うのかなあと思うんですけど、「自己概念」に合わない感情が自分の中にあらわれたときに、少なくとも意識の上ではそれを否定しないでいることで、自己概念が変化していくということかなあと思っていますけど、どうですかね?

私はロジャース派のセラピストではないので、よくわかりませんが、私なりの理解ではこんなところです。

詳しくは
http://blog.livedoor.jp/pca_nana/archives/50383337.html
(自己一致について「† tangine †」)
こちらを見てもらったほうがよいかと。

しゅう│URL│posted at 2006-07-27(Thu)│編集
「一色の上ではそれを否定しないでいることで・・・」
とのご表現で、なるほどと一定の理解をしました。
お忙しいところ、
ほんとうに、ありがとうございました。
ともみ│URL│posted at 2006-07-27(Thu)│編集
お忙しい処、申し訳ありません。
上の記載で「一色」は「意識」の
入力ミスでした。すみませんでした。
ともみ│URL│posted at 2006-08-08(Tue)│編集
>ともみさん

ですよね。気づいてたのですが、こちらからは修正ができないもんでして・・・。多分、みんなわかるから大丈夫ですよ(*^_^*)

しゅう│URL│posted at 2006-08-08(Tue)│編集
お忙しい処、失礼致します。
自分の行為に対して、いわゆる「自己嫌悪」の様な感情が表れるのは、「自己概念」が「経験」により変容しようか、いまいかと、もがいている状態と言えるのでしょうか?
考える人│URL│posted at 2006-08-18(Fri)│編集
上記の質問、自分でもちょっと意味不明なところがありますので、留保させて下さい。考えるより、感じることを大切にしたいと思いました。
考えるより感じる人│URL│posted at 2006-08-19(Sat)│編集
>考える人&考えるより感じる人さん

>いわゆる「自己嫌悪」
と言っても、いろいろあるしなあ・・・と思っていたところです。

また、何かおもしろいことを考え付いたら(感じたら?)コメントお寄せくださいまし。
しゅう│URL│posted at 2006-08-22(Tue)│編集
ご返事ありがとうございました。
自分自身では、少し明確になってきました。
できるだけ「自己一致」の状態でいたいと
心がけていると、「自己概念」から排除していた、過去の「経験」が思い出され、意識に浮かび上がってきます。
その「経験」「実際の体験」が、「自己概念」に対して、醜悪なものだった場合がある、ということを言いたかっだと思います。
考える人より感じる人│URL│posted at 2006-08-22(Tue)│編集
追記 なん度もすみません。
「醜悪」なものだったと、現在感じている過去の「経験」も、自分の一部として、自分で受け容れてやれたらなあと思っています。
考える人より感じる人│URL│posted at 2006-08-22(Tue)│編集
>考える人より感じる人

>その「経験」「実際の体験」が、「自己概念」に対して、醜悪なものだった場合がある、ということを言いたかっだと思います

なるほど。よくわかりました。そういう場合は確かにあると思います。というか、醜悪なものっていうのは、たいてい「自己概念」から排除されているでしょうからねえ。

>「醜悪」なものだったと、現在感じている過去の「経験」も、自分の一部として、自分で受け容れてやれたらなあと思っています

私もそう思いますが、それはものすごく難しそう・・・。


しゅう│URL│posted at 2006-08-25(Fri)│編集
ご返事、誠にありがとうございました。
『「醜悪」なものだったと、現在感じている過去の「経験」も、自分の一部として、自分で受け容れてやれたらなあと思っています」

私もそう思いますが、それはものすごく難しそう・・・。』

その通りかも知れまん。
口で言うのは易し、行うのは難しだと思います。
考える人より感じる人│URL│posted at 2006-08-25(Fri)│編集
お忙しいところ、なん度も申し訳けありません。
『過去の自らの「醜悪」な行い(違法行為まではいっていません)を、自分で受け容れることはとても困難です。』
それでも、「醜悪さ」を意識に置いておき、他者に対して「思いやりのある」行いを積み重ねることで、自らの「醜悪さ」に対する「自己嫌悪」を、ある程度緩和することができるでしょうか?
考え感じる人│URL│posted at 2006-08-28(Mon)│編集
なにか一人語りのようで、誠にすみません。
私は過去の「善行」も、いくつか思い出して来ました。
それらも自己に取り入れることで「自己嫌悪」が緩和できました。
投稿もしばらくお休みさせて戴きます。
名前もだんだん省略してしまいました。
考感人(かんかんじん)│URL│posted at 2006-08-29(Tue)│編集
>考感人(かんかんじん)さん

>なにか一人語りのようで、誠にすみません。

いえいえ、こちらこそ、さっさとレスしないですみません。なんというか、あんまりいい加減なレスはできないなあという空気だったので、ついつい考えているうちに・・・。(て言うといつもは適当にレスしてるみたいですが、そんなことはないですよ。)

誤解を恐れず、思ったことを言うと、

>それでも、「醜悪さ」を意識に置いておき、他者に対して「思いやりのある」行いを積み重ねることで、自らの「醜悪さ」に対する「自己嫌悪」を、ある程度緩和することができるでしょうか?

いわゆる「罪滅ぼし」にという言葉に表されるような行いというのは、実際には「罪」が消えるわけではないのは多くの人はわかっていて、「罪」を背負っている自分の「自己嫌悪」を緩和するという意味もあるのかなあと思っています。

昔悪かった人が歳をとっていい事を積極的にするようになったというのは、よく聞く話ですが、それも同じような感じでしょうかね?

何やらそう書くと、悪い意味で書いているように見えるかもしれませんが、そのことで、自他共に救われるのであれば、私はとてもいいことだと思っています。

>投稿もしばらくお休みさせて戴きます。

もちろん、それはかまいませんが、もし遠慮されているのであれば、どうぞお構いなく、バシバシ突っ込んでやってください。
しゅう│URL│posted at 2006-08-29(Tue)│編集
ご返事ありがとうございました。
無節操なところ、お許しください。
お立場からして、非常にご多忙と、少し遠慮していたのも事実です。
また、性急に答えを求めていたような処もありました。
さて「自己嫌悪」の件から始まって、自分でも深か堀りし過ぎたようです。
さて、さらに私が思っていますことが、2つございます。
1つは、言い方は下劣ですが「自らの経験のみそもくそも、自己概念に取り入れることができたらなあ。そうすればより適応できるのに。よい方法はあるでしょうか?」ということです。
もう1つは、『「マザーテレサ」さんのような聖なるお方の場合「自己一致」されておられたとして、ご自身のあらゆるご経験を、超越者(創造主)からのご使命として感じておられたのか?。そのような一貫したことは、一般人にはできないだろうなあ』ということです。
またまた名前を省略させていただきました。
かんかん│URL│posted at 2006-08-29(Tue)│編集
こんにちは、kumoです。お久しぶりです。かんかんさんのハンドルネームが少しずつ変わって行かれるのを、おもしろく感じながら拝読させて頂きました。

少し「自己一致」の概念から離れつつあるように感じられましたので、私見ですがコメントをお許し下さい。(あくまで私見ですので間違っているかもしれません。ご指摘下さい。)

①過去の体験が、「自己嫌悪」の形で暗雲のように心に重くのしかかっていること。
②その醜悪(と感じた)過去の体験を、自分の一部として受け容れたいと思うが、それはとても難しいことであること。
これらは、かんかんさんにとって「現在の体験」ですね。そして、おそらく、自己一致とは、「過去の体験」を自分の一部として取り入れることではなく、「現在の体験」を自分の一部として感じることではないかと考えます。
つまり、過去を受け入れられないでいる「現在の自分」を受け入れる、「グレーゾーンで生き続けることに耐えている自分」を自分の一部と感じる、とでも申しましょうか。
まさぐるようにして、それが「少し」できた時、「少しだけ」自己一致に近づけるような気が致します。過去は過去として持ち続けられるだけの重さになる。
まあ、自己一致と言えども、完全に一致することはないのでは?と思う今日この頃です。おそらくマザーテレサさんであっても。
kumo│URL│posted at 2006-08-30(Wed)│編集
はじめまして。最近の私のテーマだったので、院生の私なりの考えを述べさせてもらいまたいと思い書き込みます。

自己一致とは、クライエントに対してネガティブな気持ちを持ったら、ネガティブな気持ちをクライエントに向けていること、ポジティブな気持ちもまたしかり。
と思っていたのですが、集中講義でポストフロイディアンの先生の講義を受けて、そうではないのだと理解しました。

以前は、ネガティブな気持ちを持っても、(必要な場合を除いて)それをクライエントに向けるべきではないから、困ったあげく、抑圧して、無理にポジティブな感情を持とうとしたり、あげくに何も感じられなくなったり…自己一致してない!と悩んでいました。

そうではなくて、ネガティブな感情をクライエントに対して持っている自分は自分で存在しているけれど、今、このクライエントに寄り添った時に、その寄り添っている自分が共感している状態は、ちゃんと自己一致しているのだと理解しました。

すいません。まだまだ勉強中で、理解が十分でないため、文章が稚拙ですが、このような理解でいいのでしょうか。

また上記のような状態が逆転移のコントロールであるという理解もしたのですが、いいのでしょうか。
ちづ@院生│URL│posted at 2006-08-30(Wed)│編集
>かんかんさん

私はロジャース派のセラピストじゃないので、詳しくはわかりかねますが・・・

というのを再度前置きさせていただきますが、

>「自らの経験のみそもくそも、自己概念に取り入れることができたらなあ。そうすればより適応できるのに。よい方法はあるでしょうか?」

というご質問には、少なくとも私にはお答えすることができません。ただ、「一般的な」「how to的な」方法はないだろうなあとは思います。

>『「マザーテレサ」さんのような聖なるお方の場合「自己一致」されておられたとして、ご自身のあらゆるご経験を、超越者(創造主)からのご使命として感じておられたのか?。そのような一貫したことは、一般人にはできないだろうなあ』

マザーテレサさんのことはゴメンナサイ。正直まったくわかりません。しかし、

>ご自身のあらゆるご経験を、超越者(創造主)からのご使命として感じておられたのか?

そのことは、「自己一致」「自分に開かれている」という方向とは、ちと違うような気がしますけどね。

しゅう│URL│posted at 2006-08-31(Thu)│編集
>kumoさん

話を戻していただき、&整理していただき、ありがとうございます。

>おそらく、自己一致とは、「過去の体験」を自分の一部として取り入れることではなく、「現在の体験」を自分の一部として感じることではないかと考えます。

そうですね。「『今、ここで』の体験に開かれている」ことが、自己一致ということの中には含まれていると思うので、そうですよね。



しゅう│URL│posted at 2006-08-31(Thu)│編集
お忙しいところ、ご返事をいただき、ありがとうございました。
かんかん│URL│posted at 2006-08-31(Thu)│編集
『今、ここで』ということは、基本事項として、なん度も、いろいろな先生、先輩から教えられたことです。
そのことに対して、質問するのは愚問かもしれません。
しかし、私は「過去」に経験したことを、「
自己(自己概念というより自我)に、より多
く取り入れられたほうが、適応的だと思える
のです。
つぎに「自己一致」ということですが、自分
の一部として感じたくない「経験」を、「自己概念」に取り入れる際「自己概念」は、お
のずと守りの体勢でしょうから、苦痛が伴う
こともあるのではないでしょうか?
つまり「自己一致」は、苦しいこともある?
ご多用のところ、誠に恐縮ですが、宜しくお願い致します。
更に名前が縮んだ気持ちがあります。
かん│URL│posted at 2006-08-31(Thu)│編集
追記
先ほど送信致しましたところ、急に私の腰の辺りが張って、少し痛みが出てきました。
『「今・ここ」をだいじにすることが、過去にも通ずる』とおっしゃっていた先生もおられました。
私は、しばらく「腰の張り、少しの痛み」に
なりきってみます。
すみませんでした。
「か」│URL│posted at 2006-08-31(Thu)│編集
なん度もこの欄を使わせて頂き、申し訳けございません。
さて「腰の張り」のことですが、なにか「びくびく、おどおど」した感じがします。
それは「なにか自分の都合のいいことをしていて、それを表向き正当化しているのですが
すでに私の本意に気づいている人が複数いて
本意を指摘されまいかと、びくびくしている感じです」
それは、この欄のことか、業務のことか、家庭のことか、まだわかりません。
ただ、重大なことである感じはしません。
失礼しました。
「K」│URL│posted at 2006-08-31(Thu)│編集
いく度もこの場をお借りすることを、更にお詫びいたします。
自分が「腰の張り」になることで、さらに解かってまいりました。
地域社会(町内会)のことでした。
私は「まじめな人」という「自己イメージ」を、一つ持っていました。
そして「私の本意」を指摘された場合、「そんなことはない」と、正当化した怒りで対処しようと思っておりました。
しかし、なん人かの人に、軽微な実害を与えたのは事実でした。
指摘されても、心からお詫びすれば、9割はそれで済みそうです。
もし、1割の方が実損を申し出られても、煙草代程度の弁済物で済みそうです。
(私は非喫煙者ですが)
主な方には、こちらからお詫びにうかがおうと思います。
「腰の張り」も、緩和してきました。
カウンセリングして戴く場をお借りし、重ね重ねお礼申し上げます。
「K」│URL│posted at 2006-08-31(Thu)│編集
>ちづ@院生さん

はじめまして。コメントありがとうございます。

私は勉強中どころか、このテーマについてきちんと勉強しないまま現場に出ている身なので、あまり参考にはならないかと思いますが(てか、なぜに皆さんが、よりによってこの記事にたくさんコメントをくださるのかと困惑している自分がいる・・・)

>ネガティブな感情をクライエントに対して持っている自分は自分で存在しているけれど、今、このクライエントに寄り添った時に、その寄り添っている自分が共感している状態は、ちゃんと自己一致している


うーん・・・、そうかなあ・・・?

「ネガティブな感情を持っている」=「共感できない」ってことですよね?セラピー中に、そういう体験をしているってことですよね?その体験に開かれている(←この言葉、あんまり好きじゃないけど)ってことが、自己一致ってことかと思ってるんですが、どうでしょうか?

>また上記のような状態が逆転移のコントロールであるという理解もしたのですが、いいのでしょうか。

観察自我を働かせて、自分の逆転移からクライエントの転移状況を分析し、治療的に生かすという意味で、「逆転移のコントロール」という言葉をお使いであれば、そのとおりかと思います。
しゅう│URL│posted at 2006-08-31(Thu)│編集
>「K」さん

>自分が「腰の張り」になることで、さらに解かってまいりました。

腑に落ちられたのであれば、良かったです。

>カウンセリングして戴く場をお借りし、重ね重ねお礼申し上げます。

詳しい事情はわかりませんし、カウンセリングなどした覚えもないので、そんなにお礼を言っていただかなくても・・・と思いますが、まあ何はともあれ、何らかの解決に至りそうなのであれば、良かったです。

カウンセリングはできませんが、議論ならできますので、またいつでもお気軽にコメントお寄せください。

しゅう│URL│posted at 2006-08-31(Thu)│編集
カウンセリングというより、お忙しい中、ご返事くださり、ありがとうございました。
「K」改め「みのる」│URL│posted at 2006-09-01(Fri)│編集
「またいつでもお気軽にコメントお寄せください」と言ってくださり、感謝致しております。
私は、心理系の学部卒ではありますが、大学院は行っていませんし、心理、福祉系の仕事にも就いていません。
また、臨床心理士でもありません。
私は、事務系の仕事で、30年近く会社に勤めています。
私は、体が弱く入院、通院を繰り返したためまだ51歳の若さで、嘱託となりました。
ただ、臨床心理学にはずっと関心があり、大都市で開かれる市民講座や、初心者向けのワークショップには、わりと参加してまいりました。
さて、講座で教えてもらった(少し自己流になってしまった)自己カウンセリングを、ときどき行わせて戴いております。
そして、とても自分の人生にプラスになっています。
そんな中で、以前に書かせて戴きました「『今、ここで』ということは、カウンセリングの基本として、なん度教えられたことです。
そのことに対して、質問するのは愚問かもしれません。
しかし、私は「過去」に経験したことを、「
自我」に、より多く取り入れたほうが、適応的だと思えるのです』という点につきまして先生にコメントを頂ければ幸甚です。
私は「あんなことも自分だったんだなあ」と
無意識だった経験を思い出したとき、なにか
すっきりするのです。
「自己理論」のことではなくて、また素人で済みません。           以上
みのる│URL│posted at 2006-09-03(Sun)│編集
>みのるさん

ここの場は、素人がどうのとか、先生だからどうのとかはないので、いくらでも、ご意見や場合によっては批判もいただければと思います。その上で、“私”の考えを書かせていただきたいと思います。

えと、まず元の話はこちらですね?

>『今、ここで』ということは、基本事項として、なん度も、いろいろな先生、先輩から教えられたことです。
そのことに対して、質問するのは愚問かもしれません。
しかし、私は「過去」に経験したことを、「自己(自己概念というより自我)に、より多く取り入れられたほうが、適応的だと思えるのです。
つぎに「自己一致」ということですが、自分
の一部として感じたくない「経験」を、「自己概念」に取り入れる際「自己概念」は、お
のずと守りの体勢でしょうから、苦痛が伴う
こともあるのではないでしょうか?
つまり「自己一致」は、苦しいこともある?


『今、ここで』ということについては、すべての心理療法の学派で、そういう言い方をするわけではありませんが、どの学派であっても扱うのは、現在その「過去の経験」についてどう思っているか、どう感じているか、どう考えているかという、いわゆる『今、ここで』の話にはなりますよね。どうやったって、過去の経験を変えることはできませんからね。

で、
>「過去」に経験したことを、「自己(自己概念というより自我)に、より多く取り入れられたほうが

というのは、どういうことでしょう?「過去」に経験したことも、全部自分がしたこととして、引き受けるってことですかね?

もちろん、すっきりそうできれば、楽でしょうね。ただ、なかなかそうはできないもんで、どうしても、引き受けられない自分がいる場合もあると思うんですよね。そういう自分にとりあえず気づいていること、そしてそのままでいることが、自己一致ということなのかと思います。

で、そうすると確かに苦痛もともなうでしょうけど、そもそも自己一致は「楽」になるためのものではないと思うんですよね。それと、もともとは、「受容・共感・自己一致」で言うところの「自己一致」はクライエントが治療的に成長するために必要な「セラピスト側の条件」ですのでね。

そんでもって、クライエント側も変容していくためには、自己一致していることが必要なんでしょうけど、最終目的が楽になることであっても、その過程で苦痛をともなうことも当然あるだろうなあと思います。

以前研修で講師をされていた、ロジャーズ派の某セラピストが、「カウンセリングはクライエントにしんどい思いをさせてはいけないものと思っている人もいるかもしれないけど、そもそもしんどいもんなんだ」といった趣旨のことを言っていたのを思い出しました。

なんか、だんだんわけわかんなくなってきましたが、とりあえずはこんな感じでどうでしょう? >みのるさん&ロムってる皆様
しゅう│URL│posted at 2006-09-03(Sun)│編集
お忙しいところ、ありがとうございました。
おっしゃるように、「今ここで、気づきがあった」ということだったのかもしれません。
その実例の一つを、また折を見て投稿させていただきます。よろしくお願いいたします。
みのる│URL│posted at 2006-09-04(Mon)│編集
そういえば、あるワークショップに参加したとき、ファシリテータの方から、『「先生」と呼ばずに「○○さん」と呼ぶように』とお話しがあったことを思い出しました。
さて、ご返事頂きましたところ『どうしても引き受けられない自分がいる場合もあると思うんですよね。そういう自分にとりあえず気づいていること、そしてそのままでいることが、自己一致ということなのかと思います』に関しまして。
私が、51歳(普通は60歳)で嘱託処遇になった際は、正直収入が減るために悩みました。
そこで、病気にもかかわらず困難を克服して世間的に成功を収めた人の体験談を、なん冊も買って読みました。
しかし、自分にはしっくり来ませんでした。
そして、首の周りが寝違えた様に痛くなりました。
そこで、首の痛みに心を傾けてみると、この先生活していけるのか、まさに首の廻らない状態になるのではないか、悩み込んでいることが解りました。
そして、なん日かそうしていますと、まさに「今、ここでの気づき」なのでしょうか。
高校時代の文化部での発表会のことを思い出しました。
裏方で資料作りに携わっていた私は、発表者になれなかったことに、不満を抱いていました。
しかし、後になって考えてみると、体育の授業も見学がちだった私を、仲間が気遣ってのことでした。
その当時、人間関係も良く、それなりに充実していました。
というのは、私の生来のタイプに即した役回りを、仲間たちの見えざる智慧で与えてくれたのでしょうか。
さて、そのことに「今、ここで気づいてみますと」意外と、これでよかったのではないかと(早期嘱託処遇)思えたのです。
その後、首の痛みもとれ、家庭の支出の見直しも行いました。
(保険の過加入の見直し、自家用車の小型への買い替えなど)
そして、仕事のほか趣味の時間、市民講座へ参加する時間なども、取れるようになりました。
意外と、周囲の見えざる智慧の集合体だったのかも知れません。
家庭や、職場の人間関係もよくなりました。
もちろん、いいことばかりではありませんが
まずまずの状態です。
この処遇に抵抗して、正社員としてむりを続けていれば、いろいろなものを失ったかも知れません。
(ひょっとしたら自らさえも---)
それではここで失礼致します。
どうもありがとうございました。
みのる│URL│posted at 2006-09-04(Mon)│編集
面白そうな話題なので、素人ですが投稿を(^^;

>引き受けられない自分がいる場合もあると
>思うんですよね。そういう自分にとりあえ
>ず気づいていること、そしてそのままでい
>ることが、自己一致ということなのかと思
>います。
うちもそういう意味だと捉えています。
「引き受けられない、今の自分を否定しない」というのが、自己一致だと思います。
アドラー心理学の中で「不完全なる勇気を持て」という言葉があります。
これも、自己一致の1つの表現だと、うちは思います(^^)

>「カウンセリングはクライエントにしんど
>い思いをさせてはいけないものと思ってい
>る人もいるかもしれないけど、そもそもし
>んどいもんなんだ」
うちは、そうだろうなぁって思います。
うち自身、カウンセリングの中で自分が得た気付きで、「癒された」と感じることもあれば、「直面」して、辛いと感じることもあ
りました。
人格的成長って、直面を超えた先にあるなっていうのは、うち自身の実感だし、だからこそ、「自分の人生に無駄はない」って思えるのかなって感じてます。

ただ、うちの場合、それを体験したのはアドラー心理学のカウンセリングの中でなのですが・・(^^;
まぁ・・ロジャーズ心理学はアドラー心理学を取り入れているということなので、あたらずとも遠からず・・ということで(^^;
meiya│URL│posted at 2006-09-04(Mon)│編集
>みのるさん

体験談お話いただきありがとうございます。

ただ、あまりこういった場にご自分の体験を書かれないほうがいいのではとも思います。

いろんなことを言ってくる人がいますのでね・・・。

非常に個人的な内容ですので、私も今回はコメントは控えさせていただきたいと思います。

ではでは、今後ともどうぞよろしくお願いします。
しゅう│URL│posted at 2006-09-06(Wed)│編集
>meiyaさん

ご無沙汰してます。

>ロジャーズ心理学はアドラー心理学を
>取り入れているということなので、
>あたらずとも遠からず・・ということで

ほう・・・。そうなんですか。私はアドラー心理学については、ほっとんど知らない上に、何度も書いていますが、何気にロジャースについてもそんなには知らないので・・・、それは初めて知りました。

いろいろな心理療法を勉強していくと、たどるルートは違えど、最終的に目指すところにそんなに差はないんだろうなあと思うことが多いです。

でもって、最終的に目指すところが同じなら、たどるルートが違うと言っても、案外似たような意味合いを持つことも多くなるのかなあと思います。

最近、そこかしこでアドラーの名前を耳にしますが、食わず嫌い(って別に嫌いではないけど、興味がなかったです・・・)で来たので、一度勉強してみようかな。
しゅう│URL│posted at 2006-09-06(Wed)│編集
ご返事ありがとうございました。
ご指摘のことに気をつけ
また、いずれなにか投稿させていただきます。
みのる│URL│posted at 2006-09-06(Wed)│編集
おはようございます(^^)

ずいぶんと久しぶりの投稿だったので、覚えていただいていたことが、嬉しいです。
ありがとうございます(^^)

アドラー心理学は「やさしく、きっぱり」です。
うーん・・いや、厳しいです(^^;

まず、言い訳はありえません。
「わかっちゃいるけど、やめられない」
「Aをしているから、Bできない」
「Aができないから、Bできない」
などは、「人生の嘘」ときっぱり言ってます。
あと、出来事、行動の「原因」ではなく、「目的」を見るので、うちの場合、理解した瞬間に、衝撃を受けることが多いです。
でまぁ・・目的が判明して、変えることを決めたら、行動を変えていくしかないので、厳しいです(^^;

よければ、ぜひぜひ触れてみてください(^^)
meiya│URL│posted at 2006-09-06(Wed)│編集
あまりそのままの名前なので、「M」に改めました。
なん度もかえてすみません。
さて、私は「フォーカシング」は少ししか習ったことがないので、よく解らないところがあります。
それは「フェルトセンス」についてです。
私は、「フェルトセンス」とは、「外からの刺激を除いた、なんとなく感じるからだの感覚」ととらえています、しかし「なんとなく感じる」というのが、解らないのです。
病気のときに感じる熱や痛みは、よく解ります。
また、腹が減った、トイレに行きたいなどの生理的なものも解ります。
しかし、「なんなく感じる」というとことがほとんど実感できないのです。
そこで、私は、「最近、自分が気になっていること。それの自分のからだの感じ」なら、
ある程度実感できます。
その実感に、私の生きていくうえでの意味があると思っています。
お忙しいところ、申し訳けありませんが、お教えくださればありがたいです。
みのる改めM│URL│posted at 2006-09-06(Wed)│編集
Mさん、ここでは、はじめまして。
(ここからいらしたのですね。)
フォーカシングの話しが出てきたので、出て参りました。
>「最近、自分が気になっていること。それの自分のからだの感じ」
で、よさそうな。。。

こちら↓を、読まれると、
http://www.focusing.org/jp/howtoteach_joan.asp
そのあたりのもやもや(解らなさ)が、少しすっきりするかもしれません。
もしかしたら、既にお読みかもしれませんが(^^;;

(題名が、『フォーカシングを伝えるワークショップは、どのように教えたらよいか』となっていますが、ご自分がプレゼンテーションを聞いているようなつもりで読んでいただくと、フォーカシングがどんなものか解りやすいのではないかと思ってご紹介します。)
nana│URL│posted at 2006-09-06(Wed)│編集
しゅうさん

コメントありがとうございました。
まだまだ勉強中で、国語力も今一で上手に伝えられないなぁと思いました。

もう一度ゆっくり考えてみます。

逆転移のコントロールについては、知識が浅すぎてしゅうさんのコメントに対して、なんとも答えられないです…

精神分析についても、もうちょっと勉強しないとだめだなぁと思います。

ありがとうございました。
ちづ@院生│URL│posted at 2006-09-07(Thu)│編集
>meiyaさん

ハンドルネームもそうですが、文体ですぐにわかりましたよ。

>アドラー心理学は「やさしく、きっぱり」です。

「きっぱり」は比較的簡単ですが、それを「やさしく」やるのは難しそう・・・。

一度、入門書レベルをさらっと読んでみます。

レクチャーいただきありがとうございますm(_ _)m
しゅう│URL│posted at 2006-09-07(Thu)│編集
>みのる改めMさん

>私は「フォーカシング」は少ししか習ったことがないので、よく解らないところがあります。

えーと・・・。実は私も「フォーカシング」はヨクワカリマセン。てか、まったくといっていいほど勉強したことはありません。

ちょうどnanaさんが書き込みしてくださっているので、参考にしてみてください。


しゅう│URL│posted at 2006-09-07(Thu)│編集
>nanaさん

コメントありがとうございます。

リンク先ちらっと目を通してみましたが、めちゃ長いっすね・・・。

学会準備中の私の頭にはとても入りそうもないので、もうちょい落ち着いてたらゆっくり読んでみたいと思います。
しゅう│URL│posted at 2006-09-07(Thu)│編集
>ちづ@院生さん

心理の話って、文章そのものが難しくて、頭に入りにくいんですよねえ・・・。

また、なんか思いついたら、ここ以外のエントリも含めてコメントください。私も勉強になりますので☆
しゅう│URL│posted at 2006-09-07(Thu)│編集
ご返事とnanaさんの書き込みをご紹介いただき、ありがとうございました。
それからnanaさん、『フォーカシングを伝えるワークショップは、どのように教えたらよいか』というページをご紹介いただき、ありがとうございました。新書1冊分くらいありました。そのつもりで心して読みます。
また、私が少しだけ習った『「最近、自分が気になっていること。それの自分のからだの
感じ」で、よさそうな。。。』とも書いてくださいましたので、それも続けたいと思います。
さらにあるところに、「自分の中のこどもにやさしく寄り添い、ゆったり話しを聴いてあげる感じで---」とありました。
そこで、私の中に3歳の「M君」(私自身)を設定して、上記のようにしてみると、おどおどしながらも、少しずつ話し出しててきました。
この方法も取り入れてみたいと思います。
みなさま、ありがとうございました。
M│URL│posted at 2006-09-07(Thu)│編集
Mさま、しゅうさま
『フォーカシングを伝えるワークショップは、どのように教えたらよいか 』、ざっと見積もって、42,000字余り、400字詰め原稿用紙で、105枚強。
#2時間のプレゼンて、原稿に起こすと、こんな分量になるんだあ(@.@)。

気軽に読める量ではないですね(^^;;;
ワークショップに出なくても、ある程度体験的に解るという点からのご紹介でした。

ps.フォーカシング指向セラピストがなにを目指しているかを知るには、
『体験的応答』
http://www.focusing.org/jp/expresj.htm
が、おすすめです。
(こちらも、長いです(^^;。27,000字。A4 10ポ で、20枚位。)
nana│URL│posted at 2006-09-07(Thu)│編集
nanaさん、『体験的応答』をご紹介いただきありがとうございました。
こちらは薄い文庫1冊分くらいだと思います
ページを開くと、著名な訳者のかたの名前が目に入りました。
心して読ませていただきます。
それから、私は、これから「トランスパーソナル心理学」の勉強もしたいと思っています
講座はいくつか開かれていますが、出たことはありません。
NHKラジオの「こころの時間」で、以前とりあげていました。
私は学部卒ですので、講義では聞いたことがありません。
というか、私の年齢からすると、当時はあまり話題になっていなたったのでしょう。
だた、この分野はいろいろとありますので、興味本位にならず「個を超える」という、エッセンス、ポイントだけでも学びたいと考えています。
M│URL│posted at 2006-09-08(Fri)│編集
私が投稿して5日ほどたちました。
先生(このことは使わないことになっていました)しゅうさんも学会の準備でお忙しいと
思います。
私はnanaさんにご紹介いただいた資料を読ん
でみました。
しかしどこまで理解できたのか、読解力のな
さ、心理学用語の素養不足がわかりました。
けれども「フォーカシング」を極めるわけで
はなく『自分がわかっているようで、じゅうぶんにわかっていない、自分の本当の思い、メッセージ、ちえは「自分の体のなんともいえない「感じ」にある』ということで、これからも、自分の「実感」にこころの耳を傾けていきたいと思っております。
M│URL│posted at 2006-09-13(Wed)│編集
>Mさん

>しゅうさんも学会の準備でお忙しいと思います。

いえいえ(^^;) お気遣いどうもです。

>しかしどこまで理解できたのか、読解力のなさ、心理学用語の素養不足がわかりました。

心理の、特に専門家向けの文章は、哲学的なノリの文章が多いですから、単純な読解力の問題でもないでしょうねえ。私も心理の仕事してるくせに、ある種の専門書は相変わらず読めませんです・・・。
しゅう│URL│posted at 2006-09-13(Wed)│編集
しゅうさん、たいへんご多用のところ、すみません。
ご返事、ありがとうございました。
さて、このところ、いわゆる「キレる」ということを「自己一致」からみるとどうなのか、気になっています。
学会の準備でお忙しいしゅうさんに、教えていただければ幸いですし、もちろんほかの方からもご意見をいただければ、うれしいです。
私は、以前しゅうさんが書いておられた『「自己概念」に合わない感情が自分の中にあらわれたときに、少なくとも意識の上ではそれを否定しないでいること』から思いますに、「自己概念」に合わない小さな感情が自分の中にあらわれたときに、意識の上ではそれを否定しないでいること」ができなくて、小さないろいろな感情がつもって、自分でもわけがわからないほど爆発してしまうことが「キレる」ことでしょうか?
つぎに、これも以前しゅうさんが書いておられた「自己一致」はクライエントが治療的に成長するために必要な「セラピスト側の条件」ということですが、この「自己一致」をひととしての、人生の送り方のようにとらえてもよいでしょうか?
以上でございます。
M│URL│posted at 2006-09-14(Thu)│編集
>Mさん

こんにちは。

「キレる」ですか・・・。「自己一致」とのからみでなんて考えたこともないので、よくわかりませんが、

>「自己概念」に合わない小さな感情が自分の中にあらわれたときに、意識の上ではそれを否定しないでいること」ができなくて、小さないろいろな感情がつもって

うーん、小さな感情ってのにもよるでしょうけど、例えば罪悪感やら、恥やら、不全感やらだったら、「キレる」方向にはいかないでしょうね。

思うに、「キレる」って、一般的には人に対してってのがほとんどですよね?そう思うと「自己一致」って話となんだか結びつかないなあと思うんですが・・・。

自分にとって嫌なことがある(される)→適応的な解決ができない→我慢もできない→キレる

って感じだと思うんですが、この中に自己一致ってのをどうにもいれることができないです。

逆にMさんの考えをご教示いただければと思います。

>この「自己一致」をひととしての、人生の送り方のようにとらえてもよいでしょうか?

私見ですが、人生必ずしも自己一致している必要はないと思います。少なくともロジャース派のセラピストにおいては、クライエントと向き合っているときに、その場面において自己一致していたほうが、クライエントにとって役立つというだけの話で、ロジャース派のセラピストにしたって、人生の何でもかんでもにおいて自己一致を目指してはいないでしょうしね。

というのはあくまでも私見です。Mさんにとって「自己一致」が「人生の送り方」であったとしても、それはそれでいいと思います。

そこは人それぞれかなと私は思います。
てな感じでしか答えられない、アンチ・ロジャリアンの私でございます。
しゅう│URL│posted at 2006-09-15(Fri)│編集
お忙しいところ、ご返事をくださり、ありがとうございました。
「キレる」ことについて「自分にとって嫌なことがある(される)→適応的な解決ができない→我慢もできない→キレる」と教えていただき、少し解った気がします。
特に(される)という表現で、私は「なにか自分の領分を侵されるようなところに、キレる始まりがあるような感じがします」
「自己一致と人生の送り方」についてのご教示もためになりました。
今、少しづつ「ミンデルさん」の本を読んでいます。
私には、非常に難しいのですが、いずれ少しでも理解できた折りには、また投稿させていただきたいと存じます。
以上です。
M戻りみのる│URL│posted at 2006-09-16(Sat)│編集
ミンデルは、私の頭では難解でした。
私は、学部(心理学科)を出て就職しましたが、それ以来ロジャーズを信仰していました。
私は、柔軟性に乏しいので、この辺で論理療法、認知療法に宗旨替えをしたいと思いました。
これからは、こうした講座にも行ってみます。
こちらを学ぶ間、暫くお休みします。
先生、ありがとうございました。
みのる│URL│posted at 2006-09-19(Tue)│編集
1週間以上ぶりです。
フォーカシングについて教えてください。
創始者のジェンドリンは、自分たちの研究成果から、『カウンセリングの成功は、カウンセラー側にあるのではなく、クライアントが自分の「実感」に触れているかどうかで決まる』としたことに発していると学びまた。
それは、世界的にといいますか、かなり検証されていることなのでしょうか??
みのる│URL│posted at 2006-09-27(Wed)│編集
たいへんお忙しいところ申し訳けありません
追記です。お教えくだされば幸甚です。
私は、フォーカシングに対して、少しですが神秘的な感じがしています。
従ってその感じを払拭するために、フォーカシングを、いわゆるプラグマティズム、問題解決に役立つこと、と考えればよいでしょうか???
みのる│URL│posted at 2006-09-27(Wed)│編集
>みのるさん

前にも書きましたが、わたし、フォーカシングのことは、まったくわかりません。

なので、申し訳ありませんが、ご質問の件にはお答えできません。フォーカシングをされている方のブログもいくつかありますので、そちらでご質問されてみてはいかがでしょうか?

お役にたてず申し訳ないです。
しゅう│URL│posted at 2006-09-28(Thu)│編集
とんでもございません。
お忙しいところ、ご返事ありがとうございました。
フォーカシングのブログ、また講座で知りあった友人に聴いてみます。
ありがとうございました。
みのる│URL│posted at 2006-09-29(Fri)│編集
始めまして。
ある「いじめ対策」の掲示板に、『生物学者のダーウィンが「適者とは、強者でも賢者でもなく変化に敏感な者」といいました。ヒントになると思います』とありました。
私は『人間関係を柔軟に、臨機応変にということでしょうか。そう思います。しかし大人でもなかなか難しいことです』と書きました。
臨床心理士のお立場で、どう思われますでしょうか。?
-│URL│posted at 2006-11-18(Sat)│編集
↑名字忘れました。酒井です。
さかい│URL│posted at 2006-11-18(Sat)│編集
>さかいさん

はじめまして。コメントありがとうございます。

えーと…、ご質問の件に関して、

>臨床心理士のお立場で、どう思われますでしょうか。?

と言われても、うまく答えられそうにありませんので、わたくし一個人の意見を述べさせていただければと思いますが、

まず、いじめの話にダーウィンを持ってくるのは、いささか無理があると思います。あれはあくまでも進化論のお話です。比喩的にであっても、人間社会でうまくやっていく術について示唆を与えるものではないと思います。

それと、私自身の考えでは、そもそもダーウィンの「適者生存説」自体に疑問を持っています。「適者とは」「強者でも賢人でもなく」というのは確かにそのとおりですが、「変化に敏感な者」というのは違うような気がします。生物は「変化」を感じ取って、意識して「適して」いったわけではなく、「変化」の方向に「たまたま適していた」者が生き残っただけではと思いますので、そういう意味では、「生存適者」とでも言うんでしょうかね?つまり結果論ということです。

まあ、それはさておき、さかいさんが仰る、

>『人間関係を柔軟に、臨機応変にということでしょうか。そう思います。しかし大人でもなかなか難しいことです』

ということに関してですが、人間関係を柔軟にやっていけることは、社会適応のひとつの条件となるでしょうから、たしかに「いじめられにくい」要素になりうると思います。もちろん、大人でもなかなか難しいというのは当然のことで、程度の問題かと思います。「ある程度の柔軟性を持っていれば、ある程度社会適応しやすくなる」ってことかと。

以上、お答えになっているでしょうか?

今後ともどうぞよろしくお願いします。

しゅう│URL│posted at 2006-11-18(Sat)│編集
コメント有り難うございました。
酒井│URL│posted at 2006-11-19(Sun)│編集

岡田真由香「ますます、お乳が育っちゃった~。」


“超ハミ乳”としてグ ラビア業界では知る人ぞ知るア イドル、岡田真由香(22)が、IカップからKカップへグーンと成長。 「K-cup BOMBER」では、水 着だけでなく手でバ ストを隠す“手ブ ラ”にも挑戦している。

【2人の男性にオッパ イを揉まれるシーン】
http://bandb1216.mad.buttobi.net/
エ ロい体つきの真由香を全身隅々までじっくり舐 めまわした作品。


【巨 乳グ ラビア姉妹を二人同時に…】
http://bandb1216.mad.buttobi.net/
妹は、Jカップで潤音(じゅんね)という芸名で活躍している
岡田真由香「ますます、お乳が育っちゃった~。」│URL│posted at 2007-12-17(Mon)│編集
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